“裸の大将”と呼ばれた画家・山下清。
1922年、東京浅草で生まれた清は幼少時の発熱をきっかけに知的障害を負った。12歳で入所した千葉県の養護施設・八幡学園の実習で「ちぎり絵」に出会った彼は、観察眼と集中力を活かした「貼り絵」として画才を発展させていく。
山下清の名が世に知れ渡ったのは1937年。八幡学園で清の絵を知り感銘を受けた心理学者・戸川行男が、自身が教鞭を執る早稲田大学構内で「精神薄弱児山下清展」を開催、当時の画壇で賛否を巡って論争が起きるなど、当時15歳だった精神薄弱児・山下清の特異な作品は大きな反響を呼んだ。その後、18歳で施設を脱走、放浪の旅に出る。その後、度々、施設に戻りつつも彼の放浪癖は32歳まで続く。
そして1961年。放浪の画家として人気を博し、全国各地を巡回する展覧会を開催し“日本のゴッホ”と呼ばれるまでになった山下清は、精神医学者・式場隆三郎らと共に旅に出る。アウトサイダーアートの紹介者として知られ、山下清の才能を最初期に見出した人物である式場の計画による、ドイツ、スウェーデン、オランダ、イギリス、フランス、イタリア等ヨーロッパ諸国を巡る40日間に渡る旅行だった。
この旅行について、山下清が記した日記を再構成した一冊が『ヨーロッパぶらりぶらり』。式場の実弟である編集者・式場俊三が日記に手を加えた本書は“裸の大将”山下清の人物像が全面に出たユーモラスな書物である。
目的地へ向かう飛行機の中で「かじを下に向けないと地球の外へとびだしやしませんか」と心配するなど、数々の微笑ましいエピソードが記された本書。とんがった建物の造形から「かみなりの多いところだな」と感じたハンブルクや「東京よりもずっとうるさい」パリなど、ヨーロッパで山下清が見た数々の情景が、切り取られている。
『ヨーロッパぶらりぶらり』の独自性は、ヨーロッパの街並みに触れる山下清の忌憚ない視点にある。だが、本書が成立した過程にある周囲の意図的な試みこそ、読者は着目すべきではないか。
青年時代、放浪という手段で国内の景観を我が身に取り入れた山下清が、新たな観察の対象として求めたヨーロッパ。
本書は山下清の意思を実現させた式場隆三郎の企画なくしては成立し得ず、本書における実際の語り手は、編集者・式場俊三が綴る“裸の大将”山下清である。
本書『ヨーロッパぶらりぶらり』は、我々読者を“裸の大将”山下清とともにヨーロッパ観察の旅にいざなう優れたフィクションとしてお薦めしたい。
『ヨーロッパぶらりぶらり』
1961年 山下清 著 ちくま文庫
Text:Hiroyuki Motoori