第二次世界大戦時、中部ヨーロッパと思しき空間を舞台に描かれるアゴタ・クリストフの『悪童日記』。
ハンガリー語を母語とする著者がフランス語で記した本書。1986年にフランスの出版社スイユ社から刊行され、現在では40カ国語で翻訳されている。日本でもフランス文学者の堀茂樹による邦訳が1991年に早川書房から刊行された。
また、2013年には実写映画化がなされ、日本では2014年10月からのロードショーを予定している。
原題を「Le Grand Cahier(大きな帳面)」とする『悪童日記』。双子の兄弟が共同で書く日記の体裁で、一人称複数形式の「ぼくら」が物語を綴る。
<大きな町>から<小さな町>へ、兄弟が祖母のもとに疎開する場面から始まり、戦時下、疎開先での過酷な境遇を双子の少年の視線で描く本作。
邦題のタイトルに違わず、盗み、恫喝、殺人から性の倒錯に至るまで、ふたりの悪童による様々な非倫理的行為が描写されているが、日記に記される「ぼくら」の言葉は、不思議なまでに現実主義的で、感傷を挟まない。
本作で徹底して描かれる「ぼくら」の“悪”は、決して通念としての“悪事”ではない。
汚れた衣服をまとい物乞いを繰り返す「ぼくら」に、通りがかりの婦人が話しかける。
「乞食なんかして恥ずかしくないの?私の家にいらっしゃい。あなたたち向きの、ちょっとした仕事があるから。(中略)ちゃんと働いてくれたらば、お仕事が終わってから、私がスープとパンをあげます」
ぼくらは答える。
「ぼくら、奥さんのご用を足すために働く気はありません。あなたのスープも、パンも、食べたくないです。腹は減っていませんから」(文庫版p48「乞食の練習」より)
訝しがる婦人に対し「乞食をするとどんな気持ちがするか」の確認と「人びとの反応を観察するため」に物乞いをしていると語る「ぼくら」。当然、婦人は立腹してその場を立ち去るのだが、“憐憫の情を拒絶する”という点において「ぼくら」は、反社会性とは異なる意味で、堂々たる「悪童」にほかならない。
本作の「ぼくら」は一貫して、戦時下における貧困、肉親の死、物理的な暴力に対し、甘えと憐憫の情を拒絶し続ける。
過酷な境遇を前に、人はいかに振る舞うことができるのか。『悪童日記』で描かれた双子の兄弟のたくましさは、窮地に陥った人間の持ち得る、決して悪ではない、英雄的資質のひとつに違いない。
Text : Hiroyuki Motoori