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PARKING
衣・食・住・遊のすべてにこだわりを持つ男性のための新しい生き方を模索する、Lifestyle Magazine型のショップ。
洋服のほか男性の生活全般に渡って必要な道具や消耗品をそろえ、「自然と街を結ぶトランスポーター」である自動車も重要なエッセンスとして機能。
PARKING MAGAZINE
今とこれからの男性の生き方を模索するウェブマガジン。働くこと、遊ぶこと、生活することを三位一体とし、「グローバル|ローカル」, 「都市|自然」, 「消費|創造」といった様々な隔たりを軽やかに飛び越えていく、自由で活動的でDIY精神豊かな男性像を模索していくウェブマガジンです。
PARKING COFFEE×CACAO WORKS
数社のロースターと契約し、セレクトしたスペシャリティーコーヒーを提供。
産地から直送されるカカオ豆を自家焙煎し、カカオと砂糖のみを用いた特別製法のチョコレートを販売。
コーヒーとチョコレートで朝の目覚まし、軽いランチ、午後の気分転換、夕方の一休みなどの時間と空間を提供します。

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  • PARKING
    ADDRESS: Watanabe bldg.1F
    1-3-8 Nakameguro, Meguro-ku
    Tokyo, JAPAN 153-0061
    153-0061 東京都目黒区中目黒 1-3-8
    渡辺ビル 1F
    TEL: 03-6412-8217
    EMAIL: info@parkingmag.jp
    STORE HOURS:
    12:00 - 20:00
    WEDNESDAY CLOSED

    PARKING

  • PARKING COFFEE X CACAO WORKS
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    1-10-5 Kamimeguro, Meguro-Ku
    Tokyo, JAPAN 153-0051
    153-0051 東京都目黒区上目黒 1-10-5
    フィールドストーン1F
    TEL: 03-6427-0806
    EMAIL: info@parkingmag.jp
    STORE HOURS: 9:00 - 19:00
    (Irregular Holidays)

    PARKING COFFEE X CACAO WORKS

  • Existence Co., Ltd.
    ADDRESS:
    1-1-45 Nakameguro, Meguro-ku
    Tokyo, JAPAN 150-0061
    153-0061 東京都目黒区中目黒 1-1-45
    TEL: 03-6412-8637

    Existence Co., Ltd.

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2014.04.07
Art Exhibition :
Valleys and Peaks Kanmuri Matsujiro and Hokari Misuo
黒部と槍 冠松次郎と穂苅三寿雄

穂苅三寿雄 ≪雲晴れる槍ヶ岳、槍ヶ岳肩より≫ 1924(大正13)年-1941(昭和16)年 穂苅貞雄蔵

穂苅三寿雄 ≪雲晴れる槍ヶ岳、槍ヶ岳肩より≫ 1924(大正13)年-1941(昭和16)年 穂苅貞雄蔵

山からはたくさんの文学や芸術が生まれてきました。とくに日本では明治の中ごろ、山仕事や信仰のための登山ではない近代登山がヨーロッパから輸入され、山についての書物や写真が多数、制作されるようになります。冠松次郎と穂苅三寿雄は山岳文学・山岳写真の先駆けとも言うべき存在。その二人が挑んだ黒部渓谷と槍ケ岳(通称「槍」)での彼らの足跡を追う展覧会が開かれています。

冠松次郎は明治16年(1883)、東京の裕福な質屋の息子として生まれました。19歳頃から登山を始め、28歳のときに黒部と出合います。厳しい自然で知られる黒部はそれまであまり人が立ち入ったことのない秘境でした。

冠松次郎 ≪十字峡≫ 1925(大正14)年8月 公益社団法人日本山岳会蔵

冠松次郎 ≪十字峡≫ 1925(大正14)年8月 公益社団法人日本山岳会蔵

 冠は大正7年(1918)から本格的に黒部の渓谷への探検を始めます。大正9年(1920)には黒部川下廊下(「廊下」とは河原がなく、川の両岸が切り立った崖になっているところ)の遡行をめざしてベテランのガイド、宇治長次郎に案内を頼みました。壁に張り付くように移動したり、自分たちで簡素な橋をかけながら谷を進み、苦労の末に、黒部川に左右から滝が流れ込む交差点の十字路のような「廊下の十字峡」(後の「十字峡」)や、近づくことが難しく、「音はすれども姿は見えず」と言われた「劔沢大滝」まで行くことに成功します。こうして生涯を黒部の探索に費やし、多くの著書や写真を残した冠は自らを「谷狂」と呼び、人々からは「黒部の父」「黒部の主」と呼ばれました。

冠松次郎。

冠松次郎。

 

冠松次郎 ≪小窓の雪渓より鹿島槍ヶ岳を望む≫ 撮影年不詳 公益社団法人日本山岳会蔵

冠松次郎 ≪小窓の雪渓より鹿島槍ヶ岳を望む≫ 撮影年不詳 公益社団法人日本山岳会蔵

 

一方の穂苅三寿雄は明治24年(1891)、現在の長野県松本市生まれ。明治42年(1909)に上高地に、大正3年(1914)に初めて槍ケ岳に登ります。その3年後の大正6年(1917)には槍沢のババ平に山小屋を建設しました。3000メートル級の山に登ろうという人もまだ少ない当時、山小屋を経営しようという発想はとても斬新なものでした。なお開業当初、山小屋には「アルプス旅館」という名前がつけられていましたが、翌年には「槍沢小屋」と改名しています。この頃から独学で写真を学びながら大槍小屋、槍ケ岳肩ノ小屋(現槍ケ岳山荘)を開業し、地の利を活かして四季折々の槍ケ岳の表情を撮り続けます。霧や雪の中から頭を出す岩山や、急峻な岸壁を命綱一本で上って行く登山者の姿などは、彼でなければ撮れないものだったでしょう。 

穂苅三寿雄

穂苅三寿雄

穂苅は槍ケ岳を開いた播隆上人の研究でも知られています。播隆上人は文政11年(1828)、初めて槍ケ岳の頂上に登り、仏像を安置、他の人も頂上まで登って念仏を唱えることができるよう、鉄の鎖を設置して登山道を整備しました。また穂苅は昭和14年(1939)、東京山岳写真会(現・日本山岳写真協会)に創立会員として参加しました。まさに日本の山岳写真の祖ともいえる人物です。

穂苅三寿雄 ≪大正池の枯れ木と焼岳≫ 1924(大正13)年−1941(昭和16)年 穂苅貞雄蔵

穂苅三寿雄 ≪大正池の枯れ木と焼岳≫ 1924(大正13)年−1941(昭和16)年 穂苅貞雄蔵

 

穂苅三寿雄 ≪コナシの花と穂高岳≫ 1924(大正13)年−1941(昭和16)年 穂苅貞雄蔵

穂苅三寿雄 ≪コナシの花と穂高岳≫ 1924(大正13)年−1941(昭和16)年 穂苅貞雄蔵

 

穂苅三寿雄《夏の槍ヶ岳と天狗池、氷河公園より》昭和初期 穂苅貞雄蔵

穂苅三寿雄《夏の槍ヶ岳と天狗池、氷河公園より》昭和初期 穂苅貞雄蔵

 彼らが黒部渓谷や槍ケ岳を撮影し始めてから1世紀あまり。槍ケ岳には新しい山小屋や登山ルートが開かれ、多くの人に親しまれる場所になっています。その澄んだ水の流れやとがった山頂の美しさは今も人々を魅了してやみません。冠と穂苅がとらえた黒部や槍の厳しさに改めて畏敬の念と憧れを覚えることでしょう。 

「黒部と槍 冠松次郎と穂苅三寿雄」は5月6日まで、東京都写真美術館で開かれています。

 

冠松次郎《剱の大滝を囲む大岩壁》1926(大正15)年6月 公益社団法人日本山岳会蔵

冠松次郎《剱の大滝を囲む大岩壁》1926(大正15)年6月 公益社団法人日本山岳会蔵

 

 

 

Text : Naoko Aono