第二次世界大戦直後のフランスで頭角を現し、1959年に39歳でこの世を去ったボリス・ヴィアン。多才で知られた彼は、小説家、詩人、戯曲家、ジャズ評論家といった文筆活動の他、トランペッターや歌手など、音楽の分野でも足跡を遺した。
彼の存在を世に知らしめたのは、1946年に刊行された小説『墓に唾をかけろ』である。アメリカのハードボイルド小説の翻訳だと偽り、実在しない“黒人脱走兵”ヴァーノン・サリバン名義で出版された同作は、度を越した暴力表現と性描写で発禁処分となり、ボリス・ヴィアンはスキャンダラスな男として悪名を轟かせた。
日本では60年代後半以降、仏文学者の伊東守男による邦訳版『墓に唾をかけろ』が「幻のベストセラー」として人気を博したのを皮切りに、前衛作家として注目を集め、1979年からは全11巻に及ぶ日本語訳「ボリス・ヴィアン全集」(早川書房刊)の発売が始まるなど、彼の作品が広く読まれるようになった。そして、死後55年が経過した2014年、エッセイ集『夢かもしれない娯楽の技術』(水声社刊、原野葉子訳)が刊行された。
新たに「くらす」「でかける」「まなぶ」の切り口で、訳者がボリス・ヴィアンのエッセイを編纂した同書。狭い部屋の有効活用法を提案する「極小サイズのアパルトマン」、読者の“億万長者になる素質”をポイント制で採点する「君に億万長者の素質はあるか?」、年季の入った車の運転を推奨する「まだ新車を買うなんて!」など、まさしく帯に書かれている通り「(非)実用的エッセイ集」である
ライフスタイルについて、非現実的なアイデアが軽妙なレトリックにより展開される本書だが、テキストは一貫した理念に支えられている。表題作である「夢かもしれない娯楽の技術」の一文に、ボリス・ヴィアンの哲学が見て取れる。
つまるところバカンスはみんな自分の身の丈にあったユートピアの涵養(注・「涵養」とは「少しずつ育むこと」)に費やすことにすればよろしいのではないか。それはきっと、生産性のかけらもない一大娯楽のひととき、砂上の楼閣が立ち上がっていくひとときとなるのではないかな。(p131)
本書において、軽やかに響くレトリックは“身の丈にあったユートピア”を目指すための実直なアイデアである。そして“娯楽の技術”とは、個々人が身の丈にあったやり方で生活を豊かにするための方法論にほかならない。
読み終えた後、目を閉じれば、ボリス・ヴィアンが全力の軽やかさをもって建てた高らかな塔が見えるに違いない。
『夢かもしれない娯楽の技術』
ボリス・ヴィアン著/翻訳 原野葉子
水声社
Text : Hiroyuki Motoori
Photo : Tsuzumi Aoyama