『誰よりも狙われた男』は、『裏切りのサーカス』のジョン・ル・カレ原作を、『コントロール』『ラスト・ターゲット』のアントン・コービン監督(ギンズバーグやU2、デヴィッド・ボウイを撮影してきた世界的な写真家でもあり、MVの製作を足がかりに、映画『コントロール』でJOY DIVISIONのイアン・カーティスを描いて映画監督デビュー)が撮ったスパイ物だ。
作品は9・11以後の現代を舞台にした、とてつもなくリアリティがあるもの。チェチェンからの密入国者をめぐり、ドイツの地で三つ巴の多国籍言語の諜報戦が繰り広げられるのだ。まったく派手なアクションはないのに、港湾都市ドイツ・ハンブルクを切り取る構図の妙、音効が醸し出す緊張感にシビれまくる。
ジャンルとしての「フィルムノワール」は大好きなジャンルだが、この映画はぼくが大尊敬しているクリント・イーストウッド監督のトム・スターンのキャメラのように、カラー作品なのに思い切り、黒みががかっている。この点だけで、10点満点で10点だ。ものすごく陰影が濃く、このうえなく現代的なフィルムノワールになっている。
おもしろいことに、監督のコービンと原作のル・カレはとても相性がいい。抑制が効いている、「低温」であるといいかえてもいい。主演の「名優」フィリップ・シーモア・ホフマンもまた、抑制した「低温」の演技で応えている。ずんぐりした体躯で、小さなテロ対策のスパイチームを率いる男を演じているのだ。酒とタバコを手放さず、組織と衝突と闘いながら、己の信念を貫こうとする孤高の男。その芝居は、永遠に記憶したい、どこかただならぬ気配がある。ウィレム・デフォー、レイチェル・マクアダムス、ロビン・ライト、ダニエル・ブリュールらが脇を固めていて、この映画をさらに硬質にしている。
今年の2月亡くなったフィリップ・シーモア・ホフマンの演技を観るのがつらい。過去の作品を観れば物故者は必ずいるものではあるが、フィリップはぼくらの記憶の中に「まだ生き続けているから」だ。その最後のセリフがまた、彼らしい(ヒント/ホフマンが過去の作品でさんざん発してきたセリフだ)。そのしぐさともに、いつまでも永遠に、彼が深く沈殿するわけだ。映画とは元来そういうものだが、これは出色の出来だ。亡きフィリップ・シーモア・ホフマンの最高にして最後の演技を、ぜひ記憶にとどめてほしい。
10月17日(金)TOHOシネマズ シャンテ他全国ロードショー
http://www.nerawareta-otoko.jp
Text : Mutsuo Sato