この映画を観て、主人公ホアキン・フェニックスが着ている赤やピンクなどの暖色系カラーのシャツがたまらなくほしくなった。
舞台が今とそう変わらない近未来ロサンゼルス。全体に太陽の匂いがする心地よい光景だ。近未来SFにありがちな「ありえない」ような世界でなく、「ありえそう」な世界だからこそ、とても心に響くのだ。映画のやわらかい光や色彩設計、都市風景にあった音楽設計がすばらしく、やさしい太陽に包まれている心地がする。監督はスパイク・ジョーンズ。かつてビョークやビースティ・ボーイズ、ケミカル・ブラザーズ、ファットボーイ・スリムといったミュージシャンたちのヴィデオを手がけて大絶賛を浴びた彼のセンスは、かつては観る者を驚かせてきたが、いまは観る者の心を安らかにする形で生きている。
究極のラブストーリーである。この『her/世界でひとつの彼女』は、siriのようなコンピュータの女性の音声ガイドに惚れた男の話だ。監督であり脚本も書いたスパイク・ジョーンズは、『マルコヴィッチの穴』や『アダプテーション』などで異才を放つ希代のストーリーテラーであり、全米の映画評論家から大絶賛されたこの独創的で普遍的なラブスト—リー(脚本)で、米アカデミーオリジナル脚本賞を受賞している。
他人の代わりに名文を書いて他人への「思い」を伝える手紙を書く主人公の代筆ライター、セオドア(ホアキン・フェニックス)は、長年連れ添った妻と別れ、傷心の日々を送っていた。そんなとき、コンピューターや携帯電話から発せられる人工知能OS「サマンサ」(スカーレット・ジョハンソン)の個性的で魅力的な声に惹かれ、次第に“彼女”と過ごす時間に幸せを感じるようになる。沈みがちだった彼の世界が輝き出す。太陽が燦々と降り注ぐわけだ。
AI型OS「サマンサ」のキャラクターがすばらしい。カタチのない彼女とのラブストーリーが納得できるのはこの点だ。ユーモラスで、純真で、セクシーで、ちょっと感情的で、ハスキーヴォイスのスカーレット・ジョハンソンにピッタリだ。「おはようセオドア。5分後会議よ。ベッドから出て!」とまるで恋人のような口調で彼を起こし、「君ってイカしてる!」とおどけるセオドアに「やった!」と喜びをあらわにするおちゃめなサマンサ。セオドアが落ち込んだときには「あなたがもう孤独を感じないように、安心させてあげたい」とけなげな気配りまで見せるという、よく出来たAIなのだ。
このサマンサは物語の進行につれて「進化」している、とスカーレット・ジョハンソンは分析する。その言葉どおり、サマンサに恋したセオドアは本来の自分を取り戻していく。またセオドアと毎日を過ごすサマンサもまた、ウキウキの恋をした女性そのものに成長する。
おもしろいのは、OS「サマンサ」が一時故障したときだ。イヤホン型端末で四六時中サマンサと「つながって」いたセオドアは、見るからに狂ったようになる(通行人はみんな、携帯電話の端末に目を落としている)。まるでテレビが故障し見られなくなってダダをこねる子どものように。
相手が音声である以上、身体でつながることなんてできないのだ。仮に音声の主をリアルで探したとしても(そういう映画ではない)、どうしても実際の声の主は本当に従順な女性とは違うわけなのでやはりハッピーエンドにはならない。あげく、これが1対1の恋愛だと信じていたセオドアは、不特定多数にダウンロードされる身であるサマンサに多少裏切られる形になるのだ。
従順な女がそんなに心地よいのか! 実際の恋愛はまったく違って、時にはぶつかり、時には喧嘩し、理解し合えない苦しさがある。でもそれを越えたとき、その何倍も喜びや幸せを感じられると信じて、また性懲りもなく恋愛をするのが「人間の性」なはずである。
スカーレット・ジョハンソン以外にも、出てくる女優がみな極めて魅力的だ。元妻キャサリンを演じるルーニー・マーラ(cf. ドラゴン・タトゥーの女)は実に可憐で美しく、彼女を失ったセオドアがいかに沈んだ生活をしているかがしのばれる。また、何かとセオドアの相談相手になる同僚エイミー役はエイミー・アダムス。終盤にセオドアと一緒に朝日を眺めるシーンは大きな余韻が感じられる。OSに恋するセオドアを優しく包む女性たちという関係性も見所のひとつだ。
こんなステキな物語を紡ぎ上げたスパイク・ジョーンズに、オリジナル脚本賞を贈った米アカデミー賞は本当にすばらしい。時代を見通し表現してきたセンスに加え、ストーリーメーカーとしての才能が輝きはじめたことを後押しするかのようだ。映画は時代とともに進化する。時代の変化を見通し、表現するフィルターとしての映画監督スパイク・ジョーンズに乾杯である。この文章の冒頭で本作のシャツがほしいと書いたのは、この映画のすべてが愛おしいからだ。独特の色彩も、その風景に似合う音楽も、やわらかな光も、ホアキン・フェニックスもみんなみんな好きだからだ。
『her/世界でひとつの彼女』
6月28日(土)新宿ピカデリーほか全国ロードショー
(c)Photo courtesy of Warner Bros. Pictures
予告編
Text : Mutsuo Sato