アメリカンドリームの成功譚なんておもしろくも何ともない。無能ではないのに、不遇な人生を歩みつづけ、常に負けいくさをつづける男はどうにも気にかかる。
『インサイド・ルウェイン・デイヴィス/名もなき男の歌』は導入部からすばらしい「トホホ感」で僕らを“つかむ”。それはロバート・アルトマン監督の名作『ロング・グッドバイ』(1973) に似ている。私立探偵フィリップ・マーロウ(エリオット・グールド)は飼い猫に夜中の3時に叩き起こされ、近所の24時間営業のスーパーにキャットフードを買いに行く。しかしお目当てのキャットフードの缶は売り切れだったのだ。
それが、『インサイド・ルウェイン・デイヴィス/名もなき男の歌』となると、こんな具合だ。居候していた大学教授ゴーファイン夫妻の家で目覚めると、猫のユリシーズも一緒に逃げ出してしまう。外出しようとドアを開けた瞬間、そのユリシーズがその隙を狙っていたかのように飛び出したのだ。慌てて追いかけると、オートロックのドアが背後で閉まってしまう。他人の家であるから、当然ながら鍵なんか持っていない。ようやく猫のユリシーズを捕まえても、家に戻すことはできない。
主人公のルーウィン・デイヴィス(オスカー・アイザック)はあたふたと慌てふためいた挙げ句、途方に暮れる。というわけで彼はユリシーズを抱えたまま地下鉄に乗る。
1961年ニューヨーク、アッパーウェストサイドの駅を出た地下鉄は、一路グリニッチヴィレッジを目指して南下する。彼はフォーク歌手であり、グリニッチヴィレッジのコーヒーハウス(ライブハウス)〈ガスライト・カフェ〉で「ハング・ミー、オー・ハング・ミー」を歌ってみせる。時代も生活も仕事も気質も、いっぺんでわかるすばらしい導入部だ。おまけに猛烈なスピード感と絶妙なトホホ感がにじみ出ていて、観客を一瞬にかどわかすのだ。
このルウェイン・デイヴィスのモデルは、伝説のフォークシンガーであるデイヴ・ヴァン・ロンクというミュージシャンである。5歳年下のボブ・ディランに多大な影響を与えているので、マーティン・スコセッシ監督のボブ・ディランを描いたドキュメンタリー映画『ボブ・ディラン/ノー・ディレクション・ホーム』をご覧になった方なら、彼の姿を覚えているのはなかろうか。
かくして、この名もなきフォークシンガーの、ギターと猫のユリシーズを抱えた1週間の物語が描かれるわけである。
ただし、監督のコーエン兄弟はヴァン・ロックの伝記映画を忠実に撮ろうとしたわけではない。たしかにモデルにはなっているだろうが、ルーウェンはあくまでも架空の人物だ。ドジで、文なしで、宿なしで、腕っぷしはからっきし弱い。おまけに、孕ませた女(キャリー・マリガンがいい)にも糞味噌に罵られている。それでも、彼は人なつっこくて音楽的才能にはめちゃくちゃ恵まれている。そのせいか、彼は人生の敗残者には感じられない。孤立無縁というわけではなく、何人かの友人はいるようだ。変わった名前だが、ウェールズ系だと弁明したりしているのだーーボブ・ディランのディランという名字も、ウェールズの詩人ディラン・トマスからいただいたものだ。
時代は1961年(筆者の誕生年である)を描いているのに、ルーウェンは社会的現象と何ら接点を持たない。ホームタウンのニューヨーク・ヤンキースの外野手ロジャー・マリスがベーブ・ルースの本塁打記録60本を塗り替えても、そんな場面が一シーンも出てきやしないのだ。しばしば、僕らの人生における「事件」が社会での出来事とはまったく無関係に起きることを暗喩しているようだ。
ルウェインは逃げ出した猫を追い、今夜の宿を探し、なりゆきでシカゴに向かい、金にならない音楽をあきらめて船に乗ろうとして失敗し、またふらふらとコーヒーハウス〈ガスライト・カフェ〉に戻るのだ。このユーモア感覚がすばらしい。これはコーエン兄弟独自のものといえるかもしれない。冒頭にも書いたことだがもう一度繰り返す。アメリカンドリームの成功譚なんておもしろくも何ともない。無能ではないのに、不遇な人生を歩みつづけ、常に負けいくさをつづける男はどうにも気にかかるのだ。
最後の場面、コーヒーハウス〈ガスライト・カフェ〉はボブ・ディランとおぼしき声(あのシャガレ声だ)に包まれて、やさしく終わる。時代の寵児ボブ・ディランが出たからには、彼はふたたび「日陰者」のままだ。
そのおかしさとメランコリーを、コーエン兄弟はブリュノ・デルボネル(撮影監督)とT・ボーン・バーネット(音楽プロデューサー)の力を借りつつ、陰影豊かに撮り上げている。
T・ボーン・バーネット作品に外れはない。やはりコーエン兄弟監督作品の『オー・ブラザー』(2000) 、ニコール・キッドマン主演の『コールド・マウンテン』(2003)、ホアキン・フェニックス主演の『ウォーク・ザ・ライン/君につづく道』(2005)、ジェフ・ブリッジス主演の『クレイジー・ハート』(2009)など、彼のルーツ・ミュージックに根ざした音楽は、心に響く。オスカー・アイザック、ジャスティン・ティンバーレイク、マムフォード&サンズのマーカス・マムフォードなど豪華ゲストが参加したサウンドトラックは全曲聴きもので、劇中のフォークシーンはすばらしいの一語だ。
撮影監督のブリュノ・デルボネルは『アメリ』(2001)や『ロング・エンゲージメント』(2004) など、フランスのジャン=ピエール・ジュネ監督作品でおなじみだが、この名もなき男の物語をグレイがかった色彩で、切り取ってみせる。アイゼンハワー政権下のアメリカの停滞感と暗さがスクリーンからじんわりと滲み出してくるような、黒色というより灰色のコメディになっていた。
最後に主演のオスカー・アイザックはキューバとグアテマラの混血だが、名門ジュリアード学院卒業であり、歌もギターもめっぽう巧い。J・J・エイブラムス監督の『スター・ウォーズ7』の重要な役にも出演が決まっている。彼の極上の歌とギター演奏を聴くだけで、十二分に元は取れる。
『インサイド・ルーウィン・デイヴィス 名もなき男の歌』
5月30日(金)、TOHOシネマズ シャンテ他全国公開
配給:ロングライド
監督・脚本:ジョエル・コーエン、イーサン・コーエン
音楽:T・ボーン・バーネット
出演:オスカー・アイザック、キャリー・ マリガン、ジョン・グッドマン、ギャレット・ヘドランド、ジャスティン・ティンバーレイク
公式サイト:www.insidellewyndavis.jp
Text : Mutsuo Sato
Photo by Alison Rosa ©2012 Long Strange Trip LLC