『帰ってきたヒトラー』(ティムール・ヴェルメシュ著 森内薫訳)
1945年4月にベルリンの地下壕で拳銃自殺したヒトラーが、2011年、同じ場所で生き返り、次第に「ヒトラーのそっくりさん」として現代社会で受けいれられていく——
ティムール・ヴェルメシュによる『帰ってきたヒトラー』は、蘇生したヒトラーがドイツのコメディ番組で熱弁する往時と変わらない主張が、現代社会の閉塞を打ち破る斬新な意見として受け止められ、「本物のヒトラー」が現代ドイツの人気者となる過程をコメディタッチで描くSF小説である。2012年9月の発売後、ドイツ国内で130万部を売りあげた他、38ヶ国で翻訳されるなど世界で話題を呼び、広く注目される作品となった。
21世紀を舞台にヒトラー自身の一人称視点で描かれた本作では、各所に「ヒトラーが見た現代社会」の描写が散りばめられている。
ヒトラーは初めて触れた「インターネット」について「新聞や雑誌やその他あらゆる形の知識を過去の分までさかのぼって」閲覧可能な「いわば、閉館時間のない巨大な図書館」であると語り、「ウィキペディア」を「真実の追求への使命感と献身の精神」により「万人が利他の精神で動いて」おり「無数の人々がそれぞれの知識」を差し出す存在だと賛美する。これらの作中のヒトラーによる価値判断を伴う描写は、死んだはずのヒトラーが生きていたという荒唐無稽なストーリーの中にあって、66年を経て蘇った人物が仰々しく述べる感想として、作品にそれらしい現実味をもらたしている。
20世紀、世界を第二次大戦に導いた独裁者の台頭を、現代の芸能界での人気獲得になぞらえた『帰ってきたヒトラー』は、まさに“信念と技術”が説得力の根源にあることを指摘している。本作は2011年から2012年のドイツを舞台に、
本書から離れて、現実に多くのコメディアンが設定上のキャラクターを演じているのは、その設定が“信念の代替物”であるからに他ならない。空想上のインパクトあるキャラクター、それは舞台でのみ発揮されるコメディアンの技術的信念である。思えば、コメディアンが壇上から訴える言葉は、コメディに対し彼らが抱く信念の切実な表明ではないか。こうして、語り口の技術と結びついた信念は存在感となり、聴衆への説得力となる。
そして『帰ってきたヒトラー』でティムール・ヴェルメシュが描いた「本物のヒトラー」もまた、1967年生まれの著者による巧みに設定された魅力溢れるキャラクターとなった。ゆえに本作に登場するヒトラーは一行たりとも“あの”アドルフ・ヒトラーでなく、徹頭徹尾コメディアンである。なので本書は本物のナチス礼賛者には、まったくおすすめできない。
Text : Hiroyuki Motoori