1997年に64歳で自死を遂げるまで、俳優、エッセイスト、編集者、デザイナー、映画監督等、多彩な資質を発揮した伊丹十三。死後16年を経てなお、実生活の美学に裏打ちされた彼の独自性は際立つばかりである。
もっとも近年、彼に向けられる眼差しは『タンポポ』や『マルサの女』といったエンタテインメント性に優れた作品を生み出した映画監督としてが主だが、伊丹十三はキャリアの初期から優れた文筆家であった。
1968年、35歳の彼による著作『女たちよ!』は、日常生活における彼の美学を纏め記した一冊だ。「スパゲッティのおいしい召し上がり方」「包丁の正しい持ち方」から「スポーツ・カーの正しい運転法」に至るまで、いずれも実体験に即して論じている。本書は“時代の割に”趣味が洒落ていて“年齢の割に”物事に通じた作者による著作として刊行当初から年代的な側面で注目を浴びた。しかし、時代を問わずに何より驚くべきは、臆せずに価値観と好悪を表明する著者の度胸であり、その資格を持っているとして疑わない自負である。
『女たちよ!』の大きな魅力は、常識的な「本物志向」のレクチャーから頻繁に逸脱するところにある。
「西洋から日本へ帰ってきて、初めて街を歩く」と書き出すエッセイ「日本人に洋服は似合わない」では「洋風の街の中を、洋風の人人が歩いている。その洋風が全部偽物なのだから恥ずかしい」と断じ、エッセイ「ひとつ ふたつ みっつ」では「女と話をする時は程度を落とさねばならない」と見得を切る。いずれも非常に思い切った極論だが、当然のごとく、他の誰かが真似をして同じ事を語ってみても滑稽にならざるを得ない。本物志向を病的なまでに任じ、狂気じみた確信を持つに至った著者の独自性があってこそ許される断定ではないか。
刊行から半世紀近く経った現在でも、本書が説得力を持ち読み継がれているのは、そのような著者の書であるからに他ならない。
文庫版に収められた解説で、作家の池澤夏樹氏は本書について「偽物を排除して生きることを教える」本であると書かれているが、粋人気取りの入門書として読むのは実に勿体ない。
諸賢には「伊丹十三その人独自の狂気と偏見に満ちた美学を教える」本として『女たちよ!』を読まれたい。
Text : Hiroyuki Motoori
Photo : Tsuzumi Aoyama