The Mexican Suitcase
2007年12月、行方知れずになっていた126本のロールフィルム、ネガにして4500枚が入ったスーツケースが、メキシコの共同墓地で発見される。それは、伝説的な写真家「ロバート・キャパ」が撮影したスペイン内戦の写真だった。70年の時を経て発見されたその箱は「メキシカン・スーツケース」と呼ばれた。
ニューヨークに行くと、6番街と43丁目の角にあるICP(国際写真センター)のミュージアムをのぞくことにしている。ここは、報道写真家だったコーネル・キャパが40年ぐらい前に設立した写真専門の施設で、兄のロバート・キャパはもちろん、ありとあらゆる報道写真家の重要な展覧会を常時開設している、いわば「写真の総本山」であるからだ。
皮肉なことに、カメラは戦争のたび毎に進化するという。遠藤正雄さんというベトナム戦争に参加した戦場カメラマンの友人がいる。彼から聞いた話だが、ベトナムのジャングルでは、従軍カメラマンが持つ銀色ボディのカメラは木漏れ日が浴びて乱反射し、敵の恰好の標的になった。それで、ほぼ全員が黒マジックでカメラを黒く塗ったという。カメラメーカー各社が黒ボディのカメラを発表するのは、ベトナム戦争後の1980年代のことだ。また、カメラの裏蓋は簡単な衝撃でパカッと開くようにできている。地雷を踏んだらサヨウナラ、フィルムもお釈迦だ。湾岸戦争前にキヤノンが、地雷を踏んでもけっして裏蓋が開かないカメラを作った。湾岸戦争でクウェートに侵攻したアメリカ側の従軍カメラマンはほぼ全員が、黒ボディのキヤノンEOS1を持っていたという! これも前述の遠藤さんから聞いた話だ。
『メキシカン・スーツケース』は、ぼくのような写真好きにはたまらない、頬ずりしたくなるドキュメンタリー映画だ。
2007年12月、スペイン内戦を撮った126本のロールフィルム、ネガにして4500枚が入ったスーツケース3個がメキシコで発見される。撮影者はロバート・キャパ、ゲルダ・タロー、デヴィッド・シーモア“シム”という3人の戦争カメラマン。70年間行方不明になっていた写真史的にも重要なネガを、正統な相続人であるキャパの弟、コーネル・キャパが創設したICP(国際写真センター)が取り戻したのだ。いわば、同じくスペイン内戦に義勇軍として参加した、アーネスト・ヘミングウェイの未発表原稿が発見されたようなものである。
International Center of Photography
「メキシカン・スーツケース」は、ロバート・キャパの正統な遺産相続者であるコーネル・キャパ(2008年歿)が設立したICP(International Center of Photography)に届けられた。
本作は、それらのネガがなぜメキシコにあったのか? というミステリアスな謎に迫るだけでなく、戦争写真のスタイルを確立させたキャパ、タロー、シムという3人による写真の意義を問き明かしていく。
Spanish Civil War 1
「メキシカン・スーツケース」にあった「ロバート・キャパ」のスペイン内戦の写真。
共に東欧ユダヤ系移民で、パリ在住だった3人は、食うために「ロバート・キャパ」という架空の売れっ子カメラマンを名乗る(「ロバート・キャパ」という名前のほうが稼げたからだ)。そして彼らはカメラを武器にして歴史を変えたい一心で、1936年総選挙でフランコ政権が誕生し、反ファシズム陣営である人民戦線との間で内戦状態になったスペインへ向かう。命を顧みず、勇気を持って「ギリギリまで被写体に近づいた」彼らの写真は臨場感にあふれ、戦争写真の歴史に新たな1ページを刻む(報道写真の偉大なる1ページといわれる)。悲しいかな、キャパの恋人ゲルダが犠牲になってしまうが(キャパはベトナム戦争取材中になくなるまで、生涯恋人を作らなかった)。
Spanish Civil War 2
「メキシカン・スーツケース」にあった「ロバート・キャパ」のスペイン内戦の写真。
スペイン内戦については、スペインサッカーでいえばレアル・マドリッドではなく、カタロニアのチームFCバルセロナの猛烈なファンであるから、よく知っている。フランコ将軍が政権をとったファシズム陣営はドイツ・イタリアの支援を受け、対する人民戦線をロシア・メキシコなどが人民戦線を支援した第二次世界大戦の前哨戦でもあった。スペイン内戦は1936年から1939年までの4年間とされているが、内戦に勝利したフランコ軍は40年近く、人民戦線の残党に対して激しい弾圧を加えた。ピレネー山脈近くのバスク人にはバスク語を、バルセロナがあるカタロニア人にはカタロニア語の使用を禁じたほどだ。
このドキュメンタリー映画を観ると驚くことに、現在のスペインでもこの内戦についての正しい歴史教育が行われていないらしい。この内戦は多くの亡命者を生みだした。ピレネー山脈を越えてフランスへ渡った貧しい亡命者たちは過酷を極めた(フランスがドイツによって占領されたため)。一方で自由を求めてメキシコへ渡った数万人の亡命者たちはまるで『栄光への脱出』(「出エジプト記」になぞらえたもので、ユダヤ人のイスラエル建国を描いたオットー・プレミンジャー監督の1960作品)のような結末を迎えたようだ。無条件での移民(難民)たちの受け入れを許可するメキシコ政府の手の差し伸べ方に胸が張り裂ける! 開巻劈頭、これらスペイン人移民の末裔たちが先祖の遺骨を発掘しようとするメキシコの共同墓地のシーンで、今も残るスペイン内戦の傷痕を生々しく伝えている(遺骨はスペイン人移民なのだ)。
ネガを残すために尽力したパリにいたロバート・キャパの暗室助手(フランス人)にも光が当てられ、写真が持つメディア的なパワーをいっそう実感することができる。兄ロバート・キャパの写真(メキシコ)を、弟コーネル・キャパ率いるICP(アメリカ)が受け継ぐ。写真のような芸術作品は、国の垣根を超えた世界共有の遺産なのだ。
Robert Capa
ロバート・キャパ(1913年10月〜1954年5月25日)。ハンガリー生まれの写真家。本名フリードマン・エンドレ・エルネー、ドイツ語やフランス語ではアンドレ・フリードマン。「ロバート・キャパ」名義の初期の作品群は親しくしていたユダヤ人仲間のゲルダ・タロー、デヴィッド・シーモア“シム”との共同作業によるものだった。被写体に近づくことで、臨場感あふれる写真を撮ったロバート・キャパは、このスペイン内戦を撮り、戦場写真のスタイルを確立する。1954 年第一次インドシナ戦争の取材中に、北ベトナムのドアイタンで地雷に抵触し、殉死した。
Gerda Taro
ゲルダ・タロー(1910年8月1日〜1937年7月26日)。本名ゲルダ・ポホリレ(Gerda Pohortlle)。ドイツ生まれの写真家、女性初の本格的な戦場フォトグラファー。1934年に、ヒトラーの反ユダヤ主義から逃れ、パリに移り住み、そこでアンドレ・フリードマンと恋におち、公私にわたるパートナーとなる。「ロバート・キャパ」というアメリカ人の裕福な写真家の名前は彼らがでっち上げたもので、映画監督のフランク・キャプラにちなんだものだった。彼女はローライ、キャパはライカを使用していたので、撮影者は判別できる。また仕事用の名前のタローは親交のあった、パリに留学していた日本人画家、岡本太郎にちなんで付けられた。スペイン内戦が始まると、バルセロナに飛んで内戦を取材。ヨーロッパの知識人(アーネスト・ヘミングウェイやジョージ・オーウェル)の反ファシズムサークル、国際旅団とも関係を持ち始め、彼女は「リトル・ブロンド」のニックネームで呼ばれた。1937年7月26日、国際旅団の仕事でブルネテの戦いの取材中、人民戦線の負傷兵を運ぶトラックのステップに飛び乗ろうとした時、暴走した人民戦線の戦車と衝突し重傷を負い、翌27日に野戦病院で殉死する。わずか27歳だった。
『メキシカン・スーツケース <ロバート・キャパ>とスペイン内戦の真実』
原題:THE MEXICAN SUITCASE
スペイン・メキシコ合作
2011年/86分/16:9/Color・B&W
監督トリージャ・ジフ 音楽:マイケル・ナイマン
配給:フルモテルモ×コピアポア・フィルム
宣伝:カプリコンフィルム
協力:マグナム・フォト東京支社
2013年8月24(土)より新宿シネマカリテにて公開中(終了未定)。以降も全国順次公開。
©212 Berlin/Mallerich Films
Magnum Photos/International Center of Photography, NY
Text : Mutsuo Sato