旅は、人間を昂ぶらせる劇薬である。ガイドブックから一歩踏み出した場所に、旅先での非日常的な高揚感がある。本だって変わらない。紀行文学とは、決して作者の旅の追体験ではなく、未だ見ぬ旅路を思い巡らせる高揚感の追求ではあるまいか。旅も、本も、自分の世界の出来事だ。
ビートニクの旗手、ジャック・ケルアックの小説『オン・ザ・ロード』は1957年に出版された。ケルアックが、本書を執筆するモチーフとなるアメリカ大陸縦断ヒッチハイクに出発したのは、第二次大戦から間もない1947年である。アメリカ資本主義の黄金時代の幕開けと同時に、ケルアックは旅に出た。フランシス・フォード・コッポラは本作の映画化を気が遠くなるほどの年月をかけて企画。ついに念願叶い、ウォルター・サレスを監督に迎え劇場での公開に至った。日本では2013年夏に公開されるという。
小説『オン・ザ・ロード』を勧めるのに説明は要らない。本書は、どの書物より強烈に旅の高揚感を湛えている。
今日まで「様々な人々に影響を与えた」という枕詞とともに語られ続ける『オン・ザ・ロード』だが、実際、僕自身も旅にいざなわれた。以下、『オン・ザ・ロード』にまつわる個人的な思い出話である。
高校三年の夏、初めて『オン・ザ・ロード』を読んだ。当時の邦題は『路上』。福田実の訳だった。近畿の田舎から出た事のない子供にはあまりにも刺激的で、あっという間に感化された。田舎には本の話をする友人はいなかったが、そう遠くないうち、自分は壮大な旅に出る必要があると確信した。読み終えた日の晩、僕は旅の計画をノートに書き始めている。
その後、上京して都内の大学に入り、存分な時間と資金の調達手段が生まれ、壮大な旅のチャンスが訪れた。行き先はユーラシア大陸である。以前にまして『オン・ザ・ロード』の影響下にあった僕は、東京で新しくできた友達の中から「ディーン・モリアーティ」役となる旅の同行者を探した。もちろん「路上」についても「ケルアック」についても「ディーン・モリアーティ」についても内緒である。
「ディーン・モリアーティ」役を島田、市木、田原、植村、瀬古、渡部、小口、宮田、宮本、松岡に絞込み、いよいよ田原に声をかけようという時、早々に候補から外した、同級生でゲームセンター仲間の山田がバイクの事故で頭を打って死んだ。
「ディーン・モリアーティ」は死んだ奴にくれてやる事にした。『オン・ザ・ロード』のディーンには似ても似つかぬ冴えない山田が僕の「ディーン・モリアーティ」だ。そうして結局、ケルアックに触発された旅の計画は終わり、一人で旅に出るようになった。
旅も、本も、主役は「あなた」である。心はいつも、旅立ちを待っている。
Text : Hiroyuki Motoori
Photo : Tsuzumi Aoyama